ぐるぐるぐるめ♪

栃木県産。東京→奈良→静岡→ふたたび東京、たま〜に海外旅行、食べある記。10年以上書いてますので、すでに閉店しているお店もありますがご容赦を。

金の新幹線、金のソフトクリーム その10

「合掌造りの里で、なぜか栃木を感じる」編。



山菜をたっぷり使ったてんぷら


山菜のおかず



温かい蕎麦やおむすび


身体が温まる、あま酒。


ここは、山間の奥深い場所にある、
平家の落人伝説の残る村------


栃木県 日光(しかも湯西川あたり)。


ではなくて、


富山県五箇山
白川郷と並ぶ、合掌造りの集落群である。



いや、山とか畑とか、食べ物の雰囲気が、土産物まで日光とそっくりだったのでね、しかも平家の落人伝説まであるしね、
山間の村の雰囲気って、どうしても似てくるよね。
ただ、この五箇山のほうは家が合掌造りなのが特徴です。
(と、いうか、それを見にきたんだけど)

わたしは今まで誤解していたのだけど、
観光用の村ではなく、本当に人が住んでるんですね。

ガスがあるってことは生活してる人がいるということ。。!


20世紀に国指定遺跡にされてからは、取り壊して現代風の家に新築することも
勝手にリフォームすることもできずに、保存。

これは、大変な生活なんじゃないかな。。
相当な覚悟を持って生活しているのだと思う。
(リフォームしまくりの自分の実家を思い出しながら)



これは、合掌造りのプロトタイプらしい。

あ、そういえば、似たようなのを見たことがある。
たしか、縄文集落跡を見に行った、青森の三内丸山遺跡で。。
コレ↓

さすがに人は住んでいないね。。?
ガイドさんの説明
「ここも、昭和時代の初期まで人が住んでいました」
マジで?!この竪穴住居っぽいプロトタイプに?!



屋根に梯子が突き刺さってるの、見えるでしょうか。
雪下ろし、大変そうだな。。。

長く住んで、老人になった後、雪下ろし、どうするんだろう。。
高齢化社会が頭をよぎる)


というか、
そもそも定期的にやらなきゃならない屋根の葺き替えも超大変そうだよ!!
(鋭意葺き替え中の画像)


これは、家族だけでは無理だね。。。
昭和時代までは「結」という村の共同体で葺き替えていたらしい。
(現在は森林組合で管理している。)


観光ガイドブックやテレビ番組で見かける
合掌造りの家々に明かりがともり、雪が降りつもっている、
幻想的なあの風景は、そこに住む人たちの
大変な努力の上に成り立っているのだと改めて思う。




茅葺でできている屋根。
昔はこの地方の茅葺だけで賄っていたらしいけど、
なんと、現在は栃木県産茅葺も使用しているらしい。



この日は金沢からのバスツアーで五箇山に行ったのだけど、
私たち以外の観光客も、なぜか栃木県民という偶然。
栃木県民を集めたバスツアーじゃなくて現地調達ツアーだったのにね。
「どこから来ました?」「宇都宮でーす」「鹿沼でーす」とか言って、
山を見ながら山菜とか蕎麦を食べてると、
日光に来てるんじゃないかという錯覚を起こしそう
(いや一応わたし都民なんですが魂が鹿沼市民なので)

家が合掌造りなので、「ここは富山だった」と我に帰るかんじ。




このあたりの家には一軒一軒、屋号がついているらしく、
ここは「勇助さんの家」。


中にお邪魔してみることにしました。(見学できます)
おお、合掌造りの家のなか、初めて見るよ。


一階には居間があって、いろりで「熱いお茶」を出していただきました。

さっきから「温かい甘酒」とか「温かい蕎麦」とか言ってるのは
この日が寒かったからです。熱いものがうれしい。
そして家中が暖まっている。いろりの威力すごい。


合掌造り、内部は普通の(昔の)家と同じなのかな。。。?
しかし
2階に上がってみると、見たことのないような光景が広がっていました。

急階段


2階の様子


合掌造りの屋根を内側から見た画像


山間にあった集落では少しでも農地を確保するために、
住居の屋根裏を活用する必要があったという説もある。
たしかに、土地が足りないところは上に上に住居が伸びていくよね。
(東京の高層マンションしかり)



2階と3階に、養蚕の作業場があった。
(これは日光には無い光景)

現在は模型ですが。

障子窓から充分な採光と通風を確保し、
内部を二層〜五層に造り、養蚕のための場所として利用していたらしい。
冬は雪で農作業できずに家にこもることになるし、家の中に作業場があるのはいいね。
養蚕は安定収入になるし、これは良いアイデア。合掌造りすごい。



。。。それじゃわが故郷、栃木県(の、山間)もこういうふうに
養蚕して特産品を作って安定収入にすればよかったのに。
養蚕の歴史を調べると、北海道もあるから、北限ってわけでもなさそうだし、
栃木県でも不可能ではないんだよなぁ。
おなじ「平家の落人の里伝説」があっても、ぜんぜん特産品が違うんだなぁ
ま、栃木県の方は温泉が出るから観光地として生き残ることに切り替えた?の
かもしれないけど(←勝手な私の憶測)


合掌造りというのは、
豪雪地帯で雪下ろしが大変だからあの形になったのかな。
それとも2階3階で養蚕するために合理的だからなのかな。
上記の複合要因なのか?


ルーツをあれこれ考えてしまう。合掌造りが先か養蚕が先か。
。。。そもそもこの地域は、養蚕がなぜ盛んになったのか?



その後、旅行から帰宅してもう少し歴史を調べるとひとつ、
意外なことがわかった。


江戸時代、加賀藩では火薬の原料である塩硝が製造されていた。
(モチロン、幕府にはナイショで!)
合掌造りの家で製造された塩硝は山間の「地図には載らない道」を輸送され、
金沢へと届けられていた----
その塩硝の製造には、蚕の糞が使われていた。



おおお。
モヤモヤしていた謎が解けた気がする。
蚕はヒミツの火薬製造に絡んでいたのか!
なにより、忍者寺(妙立寺)や金沢城の要塞っぷりを目の当たりにした後だと
さもありなん。というか、



「寺で〜す(妙立寺)」→「金沢城の最前線基地で〜す」
「女性用の優雅な部屋で〜す(成巽閣)」→「実は武者隠しがありま〜す」
「一生懸命、養蚕してま〜す」→「一生懸命、火薬作ってま〜す」



前田さん、シビれる。。。!
まさに「備えよつねに」(対 • 徳川)






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