お次は
若かりし頃の父が雪に阻まれてたどり着けず、
ン十年の時を経て娘がリベンジした、
永平寺。(福井県)
雪に覆われた永平寺も美しいだろうけど、
アクセスの難易度が高そうだ。
わたしが訪れた11月下旬は、紅葉の最後のシーズン
(紅葉の名所としても知られている)
ここは、約800年前に創建された曹洞宗の寺院。
厳しい修行道場としても知られ、いまなお
200名近い修行僧たちが日々、座禅と読経を行っている。
修行僧の方達を撮影するのは禁止されてます。
ここに画像は載せられませんが、
たしかに、俗世を離れた表情をされているんだよなぁ。。
そういや昔いた研究所でもこういう雰囲気の方達を見かけた覚えが。。
ここから山々と寺院を一望できる。
この高台から、墨染めの衣を纏った修行僧の方が静かに景色を眺めておられました。
(景色と一体化してた)
わたしは今後の人生でこんな解脱の境地に辿りつくことはあるのだろうか。
。。。200人近い男子が住んでる割に洗濯物が全然ないよな〜〜〜
どこに干しているんだろ〜 ←俗世の垢にまみれた人の考え方
生活感が無いのよ。
生活そのものが修行。。。
たしかに。この階段、いったい何段あるの?
たしかに、住むだけで修行。(違)
永遠にジャンケン・ポンでグリコ・チョコレート・パイナップルができそうだ、この階段は。
そもそも
バリアがフリーとか、フリーなバリアとかバリアフリーとか(混乱)
そんな概念はなさそうだ。エスカーが欲しい(江ノ島にあるアレ)
そんな冗談はさておき、
この聖域には一切の生活音が無い。
都会なら四六時中聞こえる車の騒音、飛行機の音
エアコンの稼動音、テレビラジオの音声
それらが無い。
ずいぶん私は色々なことを細かく感じられるものだ。
視覚、嗅覚、触覚、聴覚
ふだんまったく意識はしていないけれど。
そしてカメラには景色として写し出せない
その全てを同時に感じている自分がいる。
これは、この世に人間として存在しなければ味わえない感覚なのだ。
ま、しっかり味覚も味わうんですけどね。
そして俗世に戻っていく自分。。。
永平寺前の「OTONA COFFEE」にて。
生麩が入ってる黒蜜ソフト
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