とても気持ちの良い初夏のある日、徳川美術館を訪ねてきました。
じ〜んせい〜楽ありゃ苦〜もあ〜るさ〜♪BGMが脳内を回る
葵の御紋のお土産たち
古今東西、遠方の豪華な食材をずらりとテーブルに並べて
おもてなしというのは最高の贅沢だし、権力の象徴だし
その時代の王(キング)や権力者にしかできない特権だよね。
そもそも「ご馳走」という言葉の成り立ちが
本来、「走り回ること」「奔走すること」を意味するし。
昔は客の食事を用意するために馬を走らせ、
食材を集めたことから「馳走」が用いられたというから。
そう、どれだけ遠くから食材を広範囲に、新鮮なまま取り寄せることができるのか権力の大きさのバロメーターだよね。冷蔵庫のない時代に。
というわけで、戦国時代の最大のご馳走(接待)を味わってきました。
その日の献立の詳細が400年以上も伝わっているのだから
さぞかしすごかったのであろう、
場所:安土城で
人:織田信長が徳川家康のために
武田氏滅亡をお祝いするためのおもてなし
天正十年安土御献立(続群書類従による)。
ちなみに、当時2日間にわたって繰り広げられた宴のメニューの詳細はこちらのリンクでご覧いただけます。
「信長の館」サイトに飛ぶよ
戦国時代の最高のご馳走を味わいに行く。
タイムマシンを使ったわけじゃありません。
徳川美術館の隣にある日本料理店「宝善亭」で食べられる
「信長御膳」なのです。家康御膳じゃないのね。
信長(が、家康のために特別に作らせた)御膳ね。
以前、滋賀県の「信長の館」に観光した時、ガラスケース越しにこの御膳のレプリカを見ていたのよね。
「信長の館」訪問記2015年の日記リンク
その時から食べたいなーとは思っていたのだけど。
わたしは信長でも家康でもないしそもそも戦国時代に生まれてないから
食べられないよね、と諦めていたら、
この、戦国時代最高の献立(2日間の宴の献立の一部)を
当時のメニューを再現してくれたよ〜さすが徳川美術館だよ〜
事前に予約していないと、レストランに入る小道にすら立ち入ることが許されぬ状況、ガラス戸の鍵をインターホンで開けてもらって通路に立ち入れました。(予約必須)
徳川美術館内から入った。
先付け
うるか、鮎の内臓と卵をぬか漬けしたもの
蒲鉾、魚のすり身を串につけて焼いたもの
茹で蛸、
このわた、なまこの内臓の塩漬け
鮑
食前酒は赤ぶどう酒
パッと見てわかると思うんですが完全に、
居酒屋(和風系)のお通しですよね。店員さんが「どれかひとつ選べますよ〜」
って、お盆で持ってきて、「じゃ、このわたが珍しいからコレにしよっかな〜」なんて想像出来る
(今回はお通しじゃなくて先付なので全種類食べられますけどね)
つまり、
信長さん、これは赤ぶどう酒を出してる場合じゃありませんって!
上杉さんはまだ滅んでないから(滅んだのは武田さん家)
上杉さんに八海山とか持ってきてもらったらどうかな?
赤ぶどう酒
まぁ多分「海外からぶどう酒を輸入できるスゴイ俺★」を
信長さんは演出してるのだろうけど
鯉汁。鯉に勝る魚はない、という料理書が当時あったらしい。
四條流包丁書による
油で揚げてあって、食感が面白かったです
室町以降、美味な魚や鳥は三鳥五魚として定められていた。
鳥(鶴 雉 鴨)
魚(鯉 鯛 真鰹 鱸 鮒)
今でいう豚、牛、鶏、みたいなかんじ???
このお刺身は鱸。爽やかな緑の蓼酢でさっぱりといただきます。
古来の料理書に、鱸は蓼酢で、と指定されていたらしい。
この季節にピッタリさわやか。
安土城で魚って言えば明智光秀が家康を接待する時に腐った魚を出したと
信長に責められて報復で本能寺の変を起こしたと1つの俗説がある。
でもそんな単純な理由で戦国時代最大の事件を起こすわけもないよね。
私、黒幕は秀吉だと思ってるんですけど。なんなら家康も共犯で。
そうすると家康はどんな思いでこのご馳走を食べていたのだろうなぁ
なんて妄想が膨らむよね。
この御膳を準備するために明智光秀があわびだのうなぎだの
蛸だの鱸だの必死に駆けずり回って集めてたかと思うと涙ぐましいよ
茄子のつぼつぼ
茄子のふたを外すと、お肉が詰まってます
いや〜、これは本当に。。本当に日本酒が欲しくなる味付けだよ!
やっぱり越後の上杉さんに越乃寒梅を持ってきてもらおう?!
信長さん、下戸だってウワサがあるけど
ちゃんとお酒は用意したのかしら
天下を統一(直前)なら、日本中から美味しいお酒が集められるよね〜
焼味噌。
信長の好物なのだそうな。
ちょっと甘めの赤味噌に葱と生姜を合わせて焼いたもの
家康で焼味噌っていえばあるエピソードを思い出すんですが(自主規制)
家康、トラウマがよみがえらなかったかしら。。?(笑)
いやもう武田さんはこの世にいないし!
トラウマ克服か!?
湯漬け、瓜味噌漬、宇治丸
これも信長が好きだったもの。
っていうか、桶狭間の戦いの前に湯漬けをかきこんで
敦盛を舞って(コレ必勝パターンなの?)出陣したってエピソードもあるしね
ご飯の上に載っているのは、宇治丸。
うなぎを丸のまま焼き、醤油と酒を合わせたタレをつけたもの
醤油はちょうどこの頃に発明されたのだそうな。
だけど、それ以前の時代では醤油なしでどうやってうなぎを味つけていたのかしら。素朴な疑問。白焼きオンリーかしら
せっかくなのでご飯をお代わりして、焼味噌でも湯漬けにします。
(さっきから湯漬けって言ってるけど、湯じゃなくてだし汁ですからね。)
そういえばさ、滋賀県の信長の館に行った時、
安土饗応膳のレプリカを見たけど、何か、お膳の上に
金ぴかのお皿があったような気がする。。。
金ぴかの。。。
羊皮餅
安土桃山時代初期の茶会に出されていた記録があるそうな。
以上、信長御膳でした。
家康がこの御膳を食べた数日後に本能寺の変が起こるのよね。
諸行無常ね。
次回のブログは「現代の名古屋めし」を紹介予定です。
名古屋味噌おでん、味噌カツ、ひつまぶし、名古屋の朝ごはん、天むす(駅弁)、ぴよりん
おまけ
現在徳川美術館では鹿鳴館時代を特集して展示しているのだけど
その中に、鹿鳴館夜会献立表と食器が展示されていた!
そう、あと残すところは鹿鳴館メニューを食べればコンプリートなのでは。
(歴史的な豪華なぐるめを食べ尽くす所存)
どこかのレストランで再現してくれないかなぁ
しかし、明治維新からたった数年で、七面鳥が献立に出されてたって
驚きよね。。