飛行機の中で映画「ナショナルギャラリー英国の至宝」を観て来たので感激もひとしおです。(青字は映画の抜粋)
学芸員達の細心の注意により、絵画を飾る部屋の選定、その並べ方まで考え抜かれた配置になっているのです。
大胆に見えて、すごく繊細な注意が払われているのだろう。
昔の貴族の館でもこういう絵画の飾り方をしていたのではないかな。
イギリス旅行の間ずっと、美術館も博物館も入場無料だった。
寛大なのは入場料だけではない。
名画が、撮影可能。
この国の画学生達は幸せだなぁ。
レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作、「岩窟の聖母」
たくさん美術館を訪れたけれど、絵画を撮影するなんて、初めてです。
チョークで書かれた繊細な絵画の為、照明を落とした特別な小部屋での展示になっている
ダ・ヴィンチの作品「聖アンナと聖母子と聖ヨハネ」
なんと、これもフラッシュを焚かなければ撮影可能ですと。。。!?
(もちろん撮影しましたよ)
小部屋にあつらえられたベンチでじっくりと鑑賞できるようになっている。
そういえば、ロンドンの大英博物館では、アッシリアのレリーフの前で大きな画用紙にスケッチをしている人を見かけたよ。
日本の美術館では、メモを取ろうとボールペンを出した瞬間、スタッフに注意されたっけ。
(万が一、絵画に傷がつく事を恐れたのだろう)
その大英博物館で展示されていたポートランドの壺
紀元前のローマで作成されたものだが。。。
19世紀、展示中に酔っぱらいに粉々に砕かれる。
当時の大英博物館の学芸員達により、200以上に割れた破片が大切に保管される。
現代の技術によって無事よみがえる。そしてまた展示される。
なんというか、太っ腹というか、寛大というか。。。
2人の間にある謎の物体は、角度を変えてみると頭蓋骨として浮き上がる。
数学は1つの解を求めるが、絵画には多数の解が存在する。
本のページをめくれば時間は過去から未来へ流れるが、過去も未来も1枚の絵画の中に存在する。
時間が止まっているのではない。過去、現在、未来の全てが存在する。
ふと、目を窓の外にやれば、絵画と同じ古い街並がある。
それは、ホテルのテレビで、街並が映し出されたときも感じたのだ。
白黒でなければ今と昔と、映像に判別がつかない。(古い街並がそのまま残る)
スナップショットと同じ、一見なにげない風景を扱った絵画。
けれども当たり前のように存在する街並でも
産業革命前のコッツウォルズのように、古い街並を残したいと願った人々の手によって、失われずに済んだという歴史もある。
風景を切り取った絵の中に、人々の願いと日々の生活が封じ込められている。
人は、絵画の中に物語を求めるのかな。宗教画も風景画も同様に。
たくさんの絵画から、たくさんの物語が話しかけてくる。
少し疲れてしまって美術館内のベンチに座った。
すると、隣に座っていたイタリア系?フランス系?の老紳士がつぶやいた。
ああ、とても疲れてしまったよ。ここは名画があり過ぎるから。
多分、英語でそう言っていた。
たしかに、それもよくわかる。
ベンチに座る私の前にはゴッホのひまわり。振り返ればセザンヌ(大水浴)。
斜め前を見ればドガ(あのバレリーナってそうですよね?)
チラッと目の端に映るのは、睡蓮ですね、睡蓮と言えばモネですね。
そんな巨匠達の代表作が惜しげもなく、続けざまに並べられているんだもの。
ここは、ラファエロ(だけ)の部屋や、レンブラント(だけ)の部屋が成立するくらい、名画が豊富。
「ナショナルギャラリー英国の至宝」では、名画の前でバレエを踊る様子が撮影されていた。
バレエによって名画もより惹き立つのだけど、しかし、200年前の美術館が、斬新な「攻めの名画展示」をすることに驚き。
昔の絵画を化石のように展示しているわけじゃないんだ。
絵画も生きているんだと感じる。
その後に訪れたのはテートモダン。
ここは、20世紀以降の作品を集めた現代美術館。
現代風の建物の、テムズ川を挟んだ真向かいにセントポール大聖堂。
新旧の街がテムズ川を挟んで対峙するのも面白い。
ピカソなどが現代美術に分類されます。
あっ、これ中学の頃の美術の教科書で見た事がある、金色の魚。
。。。Poissonかぁ。。。(フレンチレストランの苦い思い出が)
現代美術館のおみやげコーナーでは日本の漫画(MANGA)の描き方の本が積まれていました。
(漫画って現代美術のくくりなのかな?)
そして、現代美術館を訪れた人々に、自由に絵を描いてもらい、展示するコーナーも。
絵を描く人もいれば、字を書く人もいる。誰一人、同じ表現をする人はいない。
人はみんなアーティストになり得るんだよね。
現代美術は人の数だけ、現在進行形で増えていくんだ。
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