今日、部屋の棚の中を久しぶりに掃除していた時に見つけた、ちょうど2年前に引いたおみくじ。
箱根神社のおみくじだ。
そうそう、この箱根旅行は確か、令和になる直前の時期だった。
平成時代最後の”大晦日”に、次の時代はどんなかな〜?と引いたものだ。
当時の日記
おみくじに書いてある和歌
軒のはの
嵐の風は
さわげども
春を覚ゆる
家の内哉
その下に書かれていた解釈は
心を平和にしていれば 一家和合し、窓の外には嵐が吹き荒れても 自分の家には春風が吹く、、、というニュアンスだった。
その時の私は「まぁ、窓の外の嵐がなんなのかわからんけれども、家内安全なのはイイネ!」
当時わたしの家族たちは最大の危機を迎えていた(健康的な意味で)。
それが家内安全に過ごせるというなら、それで もういいよ。って感じだったな。当時の感想としては。
ちなみに、海外旅行は早くしろ、的なワードもあったのでこれも当時謎だったんだよね。(当時すでに神聖ローマ帝国行き飛行機を予約してたんだけど)
”窓の外の嵐”がなんだったのか、やっぱコロナのことかね?
コロナ禍は、このおみくじを引いた、ほぼ10ヶ月後の出来事だ。
突然スーパーの食料品がなくなり、
マスクとトイレットペーパーが店から消え、
あれよあれよと緊急事態宣言が出されて人生初の在宅ワークを経験してしまった2020。
いつのまにか東京オリンピックも延期されていたっけ。
オリンピックってそんな、、、雨天だから運動会は延期です的に延期していいものだったんだっけ、、、?そういや戦争で中止もあったけど、それ以外の理由なんて平成時代は考えもしなかった。
心平和に過ごす自信ないです神様。
父
「トイレットペーパーはそんな買いだめしなくても大丈夫だぞ〜、ほら、石油ショックのときもすぐ紙は復活したしな!あわてなくともなんとかなるって!」
石油ショックなんぞ知らんわ。
さすが、玉音放送をリアタイ(視)聴した強者は肝が座ってるな、、、
(あれはラジオだから"視"はなくて"聴"だけだな)
東日本大震災(311)の時から準備してる防災用品にマスクをくわえながら、「だんだん難易度が上がってる、、?」と感じる。もし避難所に避難することがあれば、今度は感染対策もしなければならない。
振り返れば「玉音放送」には及ばないが、わたしもそれなりに時代の分水嶺を体験してきた。
たとえばソ連の崩壊を知ったのはある朝、新聞に書いてあったからだ。
当時の私は、また覚えなきゃならない国の名前が増えるよ、、うんざりしつつセーラー服のリボンを結んでいつものように登校したっけ。
まさか冷戦終結後のバブル崩壊やらグローバル化のあおりを食って、私の世代が”就職氷河期”から”人生再設計第一世代”と呼ばれるようになってもえんえんと影響が続くとか。失われた10年が20年となり30年になるとか当時はそんなこと想像もしなかった。
もはや、何が失われたのか忘れかけてる。
たとえコロナがない世界線があったとしても結局は徐々に詰んで行ったんじゃないかと思ってる。
平成時代の格差が広がる中、効率と利益に目が眩んで"選択と集中"の結果、感染症対策はじめ基礎研究費が削られて、この惨状、、
バブル崩壊した直後は、「もつ鍋を食べて力を蓄えておこう!(バブル景気が回復した時のために)」なんて軽いグルメ記事が週刊誌に踊っていたっけ。
でも、時代がバブル以前に戻ることはなかった。
時代は戻らない。
分水嶺の影響は数十年続く。
わたしはコロナ禍が起きた2020以後の時代を見るだろう。
それが後世にどんな影響を及ぼしたのかを見届けられるギリギリの世代なのかもしれない。
おまけ画像
なんだか暗い話になっちゃったので日光(旧今市エリア)の春の画像を。
その2:そば店「報徳庵」
その3:杉線香生産の動力として水車
その4:日光杉並木公園
その5:都内はすでに初夏の陽気だけど、山奥の日光はまだ桜が咲いていた。
まるでタイムマシンに乗ったように春に逆戻り。
その6:きらきらの黄金、”日光詣スペーシア”
世界遺産の日光の社寺(日光二社一寺)をイメージした金色(東武線)。